BSフジ「2019「安全保障」展望」

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BSフジ20時から放送している硬派の報道番組を偶然視聴しました。
 
本日のゲストは、前防衛相の小野寺氏と前防衛大学校校長の五百旗頭氏で、今年の安全保障の展望について語るという大変重い内容でした。
 
五百旗頭氏は、お見かけする機会が以前よくあったので、個人的にはとても(勝手に)懐かしい気持ちにさせていただきました。
 
中国の動向が話題に上がり、昔と比べると軍事費が50倍になっていることが指摘されていました。隣国の高まる軍事力には、日本はどう対応すべきか。五百旗頭氏は、中国とは協商関係でウィンウィンの関係を維持するとともに、日米同盟を引き続き確固たるものにしていくべき、との意見を述べていました。
 
五百旗頭氏は、「宮澤喜一保守本流の軌跡」という共著もあるように、吉田茂から宮澤喜一に連なる自民党軽武装、日米同盟重視の流れを保守本流であるとして重視する立場の学者でもあります。
 

 

90年代の証言 宮澤喜一―保守本流の軌跡

90年代の証言 宮澤喜一―保守本流の軌跡

 

 

 
ただ、五百旗頭氏にしても小野寺氏にしても、中国と日本は、近年は関係が比較的良好であるという認識でいることは印象的でした。
 
また、ロシアのクリミア併合と防衛省の新防衛大綱の話が大変興味深く、思わず引き込まれてしまいました。
 
クリミア併合において、ロシアがとった戦略は、まず、ウクライナの電話回線状況を電磁波で悪化させ、SNS等でフェイクニュースを流し、通信状況を撹乱させて、ウクライナが状況を把握できない状況下のもと、静かに物理的に制圧を行うやり方であったそうです。そして、これが21世紀の戦略であることが小野寺氏より指摘していました。
 
小野寺氏は21世紀の新しい戦争であることを強調したかったのだと思いますが、私は、満州事変における日本軍による満州制圧の経緯を思い出しました。
 
ともあれ、これだけスマートフォンが全国民に普及し、スマートフォンでアクセスできる情報が現実の大きな部分を構成している現代日本で、このような戦略をとられてしまったらひとたまりもないので、確かに警戒すべき事態であるのは、間違いないでしょう。
 
そのような社会の「神経系」である通信状況の確保が重要であることを指摘した上で、新防衛大綱で宇宙・サイバー空間にも対応するクロス・ドメインの概念に触れていたのは、今後の世界情勢を考える上でも、大変勉強になりました。
 
普段は経済ニュースばかり追っかけていますが、色々な視点で国際情勢を考えなくてはいけないですね。

映画「ボヘミアン・ラプソディー」を見て

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映画「ボヘミアン・ラプソディー」を見ました。
 
正直なところ、QUEENに対しては、大味で大袈裟なロックをやるバンド以上の印象を持っていませんでした。しかし、映画を見た後では、そのような過剰な装飾を纏ったサウンド作りも、ボーカルであるフレディ・マーキュリーの、誰にも理解されえぬことからくる魂の叫びによるもののように感じてしまう、そんな心を揺り動かされる映画でした。
 
まず、セクシャル・マイノリティであるフレディが追い詰められていく描写が大変リアルで、視聴者側は見ていて胸が痛みます。
両親は厳格なゾロアスター教徒のインド人で、父親と対立し、イギリス社会の中では特徴的な容姿や出自に悩み、自分を理解してくれる他人を常に求め、結婚まで考えた女性とよい関係を築き続けたいが、自己のセクシャリティに気づき始め、その結婚は破局に向かってしまう…。
周囲の状況に追い詰められていくフレディに視聴者も感情移入していきます。
 
一時的にフレディのパートナーとして描かれるマネージャーが、スタジオに入り浸ることで、バンドメンバーとフレディの関係が悪化するシーンは、ジョン・レノンオノ・ヨーコがべったりとなることでメンバー間の関係が悪化したビートルズを思い出しました。
やはり、バンドメンバー間には、ある種の同士愛が必要で、他の誰もが入り込めない空間を作る必要があるのかもしれません。
 
フレディを追い詰めていく役回りの一つとして、フレディのセクシャリティを追及する記者団がいましたが、あの記者団一人一人を、過剰に悪役的に演出せず、あくまで模範的で誠実そうな人間として描いていたのは、印象的でした。
孤立した者を追い詰めていくのは、悪意を持って振る舞う特別な人間なのではなく、あくまで普通のどこにでもいる人間なのでしょう。
 
マイノリティというと、特別な存在であるような受け取られ方をされますが、完全なマジョリティである者も実は存在せず、人はある一面においては誰しもマイノリティなのではないかと思います。それでも人は人との繋がりを求め、また愛し合う。この映画が多くの人の心を打つのは、そういう人間存在の根底に触れている映画だからなのではないでしょうか。

浅田彰がトランプを語る

 
 
おそらくは浅田彰の書いたものを読んでいたいというだけの理由で、このブログを読み始めているのを見出す。
 
 
…とのっけから、「構造と力」をパロってしまいましたが、久しぶりに浅田彰の書いた文章を読みました。「憂国放談」の対談形式で進められる時事ネタより、はるかに惹き付けられる内容であり、思わず読みふけってしまいました。
 
まず、アレサ・フランクリンモハメド・アリに代表されるマイノリティや多文化主義を賞揚するオバマヒラリー・クリントン、そしてそれに対立する政治的スターとしてトランプ大統領が出てきたというアメリカの状況が描かれています。
 
ここで、浅田は「偽善」(タテマエ)と「露悪」(ホンネ)という概念を使い、マイノリティを承認しながら、一方ではウォール街にどっぷりである「偽善」的なオバマクリントンに対し、ホンネを用い、彼らが掲げる多文化主義から排除(!?)される所得水準の低い白人男性を惹き付けるトランプ大統領が「露悪」の象徴とされています。
 
ところで、この「偽善」と「露悪」という概念は、90年代から柄谷行人や浅田が用いていた概念です。
しかし、90年代に「偽善」と「露悪」という概念で二人が表現していたのは、批判されるべき点もあるがそれでも自由や人権を追及しようとする欧米を「偽善」とし、善を諦めた姿をみんなで共有して安心しようとする伝統的な日本の姿勢を「露悪」的としていました。しかし、この20~30年で、「露悪」的と表現される姿勢は日本に限らず世界的なものとなったのでしょうか。興味深いところです。
 
さて、記事では、トランプ大統領的な「露悪」に対抗するために、現実的な「再配分の政治」を構築する必要があるとしています。ここで「再配分の政治」の担い手としては、「高潔な道」に行ったがトランプ大統領を打ち倒せないオバマではなく、「ワル」さを持ち、時には低劣な方法でファイトができるアレサ・フランクリンモハメド・アリ自体のような主体であるとして記事を結んでいます。
この結びの結論については、魅力的な表現であると感じさせる部分である一方、「ワル」さを持ちファイトができる主体がどういう人物なのか、うまく頭の中でイメージを作ることができませんでした。
 
とはいえ、様々なインスピレーションを与えてくれる文章だと思います。

BS1スペシャル「欲望の資本主義2019~偽りの個人主義を越えて~」

www4.nhk.or.jp

お正月の雰囲気そのままに、他放送局がバラエティー番組を放送する中、NHKによる経済ドキュメント番組が放送されました。

過去の放送内容は書籍にもなっています。

欲望の資本主義

欲望の資本主義

今回の放送内容は、GAFAと呼ばれるグローバル企業の世界経済への強大な影響力を指摘しながら、アダム・スミスマルクスハイエク等、経済思想家の思想がどのように現実の世界に影響を与えたか論ずるものでした。

強大企業による市場の独占が競争を阻害し、企業が国家のようになるという議論を聞きながら、グーグルやアップル等の強大企業と、共産党政権下の中国政府は、理念や思想、民間と政府という違いはあるにせよ、ある意味では似始めてきているのかもしれません。先端テクノロジーによる消費者の選好の把握(とコントロール)という意味で。

番組では、フリードマン新自由主義を推し進めた思想家として、アダム・スミスハイエクの本来の主張を対比しながら、やや批判的に描いていましたが、フリードマン以降の経済学者の思想や現実の金融市場の担い手であるヘッジファンド、投資家の感覚と比べると、フリードマンはそれでもまだ「穏健的」だと思うので、悪役にされてしまったフリードマンの描かれ方は、ちょっと可哀想かなとも感じましたが、とても見所のある番組でした。