夏目漱石「草枕」ー「職人」漱石による非人情の世界

 

夢十夜・草枕 (集英社文庫)

夢十夜・草枕 (集英社文庫)

 

 

智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。

 

夏目漱石草枕」は、上記の作品冒頭が有名であり、「美文」「日本らしい情緒ある表現」と評されることが多い。
 
 
私も、確かにこの冒頭の表現から作品世界を展開していく流れがとても好きで、たまに読み返したくなる「名文」だと思う。
 
しかし、この冒頭部分だけでなく、「草枕」全体を最初から最後まで通読してみると、「情緒的」というよりは、はるかに「技巧的」で、主観を廃し作品をどう見せるか写実的に表現しようとする、「職人」夏目漱石の匠の技を感じさせる作品ではないかと思っている。
 
 
このことについては、夏目漱石自身も作品の中で技巧的な物語にすることを自己言及的に記している。
 
冒頭で「人の世は住みにくい」とする漱石。山路を歩きながら、次に山鳥に思いを巡らせ、自然の景物が面白く苦しみが起こらない理由はなぜだろうと分析を行う。
 
それは、自然の景色が、人情を離れ、ただ景色としてのみ心を楽しませるものであるからだ。
草枕」の世界にとって、人情とは、俗世である「人の世」に心を戻してしまう過剰な存在である。
 
苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。
余も三十年の間それを仕通して、飽々した。
飽き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。
余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞するようなものではない。
俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である。

 

そこで、「草枕」の作品世界においては、「非人情」が追求される。
人情や俗界を離れ、自然のように外界をただ芸術として観賞すること、これが「草枕」の作品世界を貫くポリシーである。
 
しばらくこの旅中に起る出来事と、旅中に出逢う人間を能の仕組みと能役者の所作に見立てたらどうだろう。
芭蕉という男は枕元へ馬が尿するのをさえ雅な事と見立てて発句にした。余もこれから逢う人物をー百姓も、町人も、村役場の書記も、爺さんも婆さんもーことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取りこなしてみよう。

 

ということで、「草枕」で描く旅中においては、そこで出逢う人物とのやり取りを、けっして「人情」を感じさせるものにしないように、作中の主人公が振る舞う。
 
旅中で出逢う女性と、風呂場で一緒になったり、息が髭にかかるほど接近するが、けっしてロマンチックな展開にはならない。
 
旅中の風雨に晒される主人公を描く過剰な漢文調で表現される水墨画のような場面。
そして、出逢った女性の容貌をこれまた過剰な表現を用いて皮肉的に長文で描写している場面。
私は、この2つの場面が特に好きだ。
最近、「草枕」を読んでいない方も、ご一読をお勧めします。
 
なお、「草枕」は、作品全体としても、明治を生きる漱石による、西洋文学と東洋文学の比較・批評となっている。

 

【映画】新海誠「天気の子」ーその「反道徳性」と「子ども」の世界

 

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公式HPより
  
以降、映画の内容についてネタバレがありますので、未視聴の方はご注意ください。
 
なお、映画を見るにあたって、事前に何の情報も入れずに視聴し、この記事を書いている現在も、他のブログの関連記事等は一切見ていない(登場人物の漢字表記だけWikipediaを閲覧した)。
また、普段はあまりアニメを見ない人間なので、不勉強による誤り・誤解等があれば、ご指摘いただければ幸いです。
 
 
「天気の子」ーその挑戦的な姿勢
 
 
新海誠監督の「天気の子」を見てきた。
 
視聴前に予想してた以上に、かなり「攻め」ていて、その点がとても感心し、余韻が残る。
エンターテイメント的にどうなのかはよくわからない。
というのも、議論を巻き起こす内容となっており、もちろん新海誠も意図的にそれを行っている。
挑戦している姿勢自体は、素直に応援したい気持ちがある。
 
 
「天気の子」ーその反「道徳性」
 
 
まず、「天気の子」は、反「道徳的」な作品である。
 
主人公である帆高は、16歳の高校生であるが、よくわからない理由で家出を行い、生まれ育った町を離れ、東京に出てくる。
 
家出の理由は、本人の口から「何となく息苦しかった」と述べられるばかりで、作品中では最後まできちんと説明されない。
 
 
東京では、働き口を探すが(労基法違反だ)、なかなか見つからず、職務質問をする警察官からは逃亡し、偶然拾った拳銃が本物であることが判明したにも関わらず、警察には届けず(身バレする危険性を考慮したのかもしれないが)、廃ビルのフロアの一角に放置する。
 
豪雨でも一定時間晴れにするという、天気を操ることができるヒロインの陽菜と出会い、その超自然的な能力を生かし、「晴れ女ビジネス」をネットで始める。
この試みは、ビジネスとしては大変成功したような描写がなされるが、このままだと脱税行為にあたるだろう。
なお、少女も、主人公と出会った場所であるファーストフード店においては、年齢詐称を行い、児童であるにも関わらず、労働を行っていた。
 
いよいよ、警察の追求が迫り、お世話になった須賀による「地元の家に帰った方がよい」というアドバイスにも関わらず、警察から逃亡することを選択した主人公の帆高は、児童相談所による保護が社会的には望ましい陽菜とその弟である凪に、「一緒に逃げよう」と勧誘する。
 
逃避行は、確かに恋愛ドラマの一ジャンルではあるが、帆高のこの勧誘は、陽菜と凪に反社会的な生活を誘導するのと同様の行為であり(二人の教育の機会はどうなるのだ)、また、お世話になった須賀の社会的立場をも危うくする行為である。
 
想像するに、陽菜の生活を慮る意図、陽菜と一緒にいたいという想い、地元に帰りたくないという気持ち、が入り交じった上でなされた行為なのかもしれないが、なぜ地元に帰りたくないかが不明なので、いまいち帆高のこの行為に感情移入することができない。
 
当然、この逃避行がうまくいくはずはない。
陽菜が消えてしまった後、警察に発見され、一度は大人しく捜査に協力するように見えた帆高だが、陽菜を探し出すために警察署から脱走する。
 
須賀の姪である夏美は、あまり躊躇することなく、帆高の警察からの逃亡を手伝い(職務執行妨害+道交法違反)、須賀も、一度は大人の振る舞いを見せるかと思いきや、捕り物中の土壇場で帆高の逃亡を助ける。
 
帆高は、一度放置した拳銃を、廃ビル天井に向けてではあるが発射し、追求してきた警察官に対してさえ銃口を向ける。
殺人未遂に問われてもおかしくない行為であり、アメリカだったら射殺されているかもしれない。
 
何度も恐縮だが、この帆高の他人に銃口を向けてまでビル屋上に上がろうとする行為も、陽菜に対する恋愛感情に因るものなのだろうが、あまり感情移入できない。
 
結果として、帆高は陽菜を取り戻すものの、保護観察処分となり(処分が軽すぎないか?)、須賀も夏美も警察に逮捕されてしまう。
 
 
 
さて、ここまで、「大人」の視点で、道徳的・社会的な問題を語ってきた。
だが、そのような「大人」の視点なんて、無価値なのかもしれない。
少なくとも主人公の帆高にとってはそうだし、作品の世界観から言ってもそうだ。
なぜだろう?
 
 
「天気の子」ー「子ども」と「大人」の対立
 
それは、こうだ。
「天気の子」の世界においては、明確に「子ども」と「大人」の世界観は対立しており、両者は交わることはない。
そして、この世界の創造者である新海誠は、「子ども」の世界観の方をより称揚しているように見える。
 
象徴的なのは、主人公たちの食事のシーンだろう。
例えば、帆高が陽菜の部屋を初めて訪問するシーン。
 
「初めて女子の部屋を訪問するのか」なんて微笑ましいセリフを帆高に呟かせながら、帆高と陽菜の関係性が深まるシーンであり、「晴れ女ビジネス」の流れにつながる重要なシーン。
そこで陽菜が帆高に出す手料理が、袋入りインスタントラーメンとポテトチップスを炒めた?ものである。
 
これはもしかすると「美味しい」ものなのかもしれない。
しかし、どうみてもジャンクで「貧しい」ものである。
少なくとも、私も含め、自称「常識的」な「大人」の視点からは。
 
だが、作品の世界観からは、そんなウザい「大人」の視点はどうでもよく、キラキラした演出とともに画面に登場し、美味しそうに帆高に食されることになる。
 
同じような状況は、逃亡先のホテルで帆高、陽菜、凪に食されるたこ焼きや焼きそば等にも言える。
 
これら「大人」にとっては貧しい食事は、「子ども」たちにとっては、魅力的で、お互いの親睦と共同性(共犯性?)を高める重要なツールとなる。
 
これら作品に登場する、貧しい食事や親のいない子ども、児童相談所等のモチーフは、どうしても、子どもの貧困や児童虐待など、現代日本の子どもをめぐる状況を想起させる。
 
 
 
 
当然、監督である新海誠は、現代日本を想起させるよう、意図的にそう描いているのだろう。
 
帆高は親元から逃げ出し、陽菜と凪は、児童相談所という「大人」たちから逃げ出す。
「子ども」たちである帆高、陽菜、凪にとって、親(「大人」たち)の保護とは、逃げ出さなくてはならない事象なのだ。
例え、「大人」たちが大事に拝んでいる法律や道徳から背く行為であったとしても。
 
 
「天気の子」ー「君の名は」の反省的反復
 
新海監督の前作「君の名は」においては、タイムスリップすることで、主人公たちは恋に落ち、また彗星の落下が予測できたことで多数の人命を救う。
ヒロインの命も救われたことで、主人公との恋愛も成就するという結末になっている。
 
では、「天気の子」はどうか?
 
「天気の子」においても、主人公が超自然的な現象を利用することで、ヒロインを救出することは共通している。
 
しかし、「君の名は」においては、恋愛を追求することがそのまま、社会の救済につながっていたのに対し、「天気の子」においては、そうならない。
 
恋愛を追求することは、社会の救済につながらず、逆に、両立せず矛盾するものとして現れる。
主人公はどちらかを選択しなくてはならない。
そして、主人公は、恋愛の追求を選択する。
結果、社会は救済されず、東京は水没する。
東京が水没した景観は、東日本大震災津波被害の後を想像させずにはいられない。
 
 
 
図式的に表現すると、
「君の名は」においては、恋愛の追求→社会の救済、となっていたため、
 
恋愛の追求=社会の救済
 
という公式だと思っていたが、
新海監督としては、実はそうではなく、
 
恋愛の追求>=社会の救済
 
が正しい公式なのだ。
 
したがって、両者が対立するときは、社会より恋愛が選択されなくてはならない。
 
これは「君の名は」の内容についての視聴者の捉え方を、新海監督が振り返った上で、反省的に改めて表現し直したのではないかと感じた。
 
上の公式のとおり、社会の救済と恋愛の追求が対立する場合、後者の方が重要であると、改めて視聴者に訴えかける。
「君の名は」が多数の視聴者に受ける優等生的な作品であるのに対し、「天気の子」が挑戦的で議論を巻き起こす内容になっているのは(私にはそう見える)、以上のような監督の考えが働いているのではないか。
 
 
最後に
 
「子ども」たちは、「大人」たちの価値観に関わらず、お互いで共同性を高め、社会の救済より恋愛を追求する。これが「天気の子」の世界観である。
 
作品のラストで、帆高が陽菜と再会したときに涙を流しながら「大丈夫!」と喜びを込めて叫ぶ。
しかし、何が「大丈夫」なのだろうか?
わからず屋の「大人」である私には、まったくわからない。
「天気の子」は、そのような挑戦的で何か余韻を残す恐るべき作品であると思う。

コリン・パウエル「マイ・アメリカン・ジャーニー」

 

マイ・アメリカン・ジャーニー“コリン・パウエル自伝”―少年・軍人時代編 (角川文庫)

マイ・アメリカン・ジャーニー“コリン・パウエル自伝”―少年・軍人時代編 (角川文庫)

 

 

私の自伝は、貧しい移民の家庭に生まれ、なんの期待もされていなかった黒人の子供が、サウスブロンクスで育てられ、どういうわけかアメリカ大統領の国家安全保障担当補佐官になり、やがて統合参謀本部議長になる物語である。
 
コリン・パウエルは、アフリカ系アメリカ人で初めて米国の国務長官を務め、四軍を束ねる統合参謀本部議長時代には湾岸戦争の指揮を執った人物。
 
軍人でありながら(むしろ、だからこそ)、軍事力の行使に抑制的であり、彼の活躍が後のオバマの台頭につながった側面もある、アメリカン・ドリームを体現するような人物である。
 
 
私は、何かに行き詰まったとき、思い悩んだとき、何かを決断するときに、この書を読む。
この書は、勇気と力を与えてくれる、私にとって本当に大事な本である。
 
専攻科目を落第したことを話すと、両親は失望した。また、例のコリンだ。いい子だけど、方向が定まらない。そして、私が新しい専攻科目について告げると、すぐさま家族会議が開かれた。… 地質学をやって何をするの?… 石油でも掘り当てるつもりかい?
 
 
子供の頃からうまくいっていたわけではないし、人生で歩むべき道が見えていたわけではない。大半の人間はそうなのかもしれない。
では、どのようにしてコリン少年は、コリン・パウエルとなったのか?
 
一九六一年の夏に、三年の兵役義務が終わるので、除隊しようと思えばそれも可能だった。だが、除隊することは考えてもいなかった。… 黒人にとっては、アメリカの社会のどこへ行ってもこれほどの機会を与えてくれそうもなかったのだ。だが、何よりも重要なのは、自分のしていることが好きだという点だった。
 
アメリカ社会における黒人差別の現状がある。人種差別はあってはならず、平等の機会は市民にとって保障されるべきというのが、アメリカの理想であるはずだか、現実の社会はそうなっていない。
 
だが、そのアメリカの理想が先んじて実現された場所があった。
コリンにとって、それは軍隊だったのだ。
 
 
これまで、アフリカ系アメリカ人のあいだには、兵役につくことについて、つねにもやもやした感情があった。長いあいだ、自分たちのために一度も戦ってくれたことのない国のために、なぜ戦わなければならないのか?
…そうは言っても、尊ばれ、蔑まれ、あるいは歓迎され、いじめられながら、何十万というアフリカ系アメリカ人が建国当初からこの国のためにつくしてきた。
ハリー・S・トルーマン大統領が軍隊内での人種差別に終止符を打つ大統領命令に署名したのは、一九四八年七月二十六日だった。
…つまり、陸軍はアメリカの他の分野に一歩先んじて民主主義の理想を実現していたことである。
…したがって、陸軍にいたおかげで、私はさまざまな欠点があるこの祖国を愛することも、心の底から祖国に奉仕することも容易にできたのである。

 

 

自分が望むこと、組織や共同体が理想とすること、この2つが一致することは、残念ながらそう多くはない。
 
多くの場合、自分がうまく組織や共同体の望みと折り合いをつけて、双方そう不満がない形でお互いやっていくしかない。
そういう退屈なリアリズムで、世の中は動いているのでは。そう感じるときがある。
特に、自分が、組織や共同体におけるマイノリティであるのであれば、なおさらである。
 
だが、もしかすると、個人も理想を持ち続けることで、組織や共同体も変わっていくのかもしれない。
もちろんそれには個人の強い信念と、その後に続いていく多くの人間の存在が必要なのかもしれないけれども。
 
自分の信じる道を突き進むことが、組織や共同体の理想ともつながる。そういう回路がありうるのだ。
確かにそう思わせてくれる名著である。

陳舜臣「中国傑物伝」

 

中国傑物伝 (中公文庫)

中国傑物伝 (中公文庫)

 

 

歴史上の偉人に憧れた経験は、誰しもあるだろう。
 
私は、「三國志」を読み、まず、諸葛亮孔明に魅せられた。
三國志演技がベースとなった、その知謀と風雨すら操る仙人的な演出のなされた孔明は、幼い頃の私には大変魅力的な存在であり、そこから、歴史好きな自分のベースが作られたように思う。
 
諸葛亮孔明は、劉備玄徳と並び、「三國志」におけるスター選手だが、陳舜臣の「中国傑物伝」で掲げる、漢の宣帝、張説、馮道、王安石劉基順治帝…は、スター選手とまでは言えない。
 
漢の皇帝であったら、まず挙がるのは光武帝であろうし、唐の時代ならば、張説ではなく、李世民玄宗が主人公となるであろう。王安石は教科書でも名前が出るが、どちらかというと、彼の政敵である司馬光の方が人気がありそうだ。
 
本書でももちろん、張良曹操などの有名な人物も描かれるが、傑物として挙げられる16人は、どちらかというと全体として「シブい」セレクトではないかと思う。
 
伯夷、叔斉を「史記」列伝の先頭に記し「天道、是か非か」と説いた司馬遷といい、諸葛亮を「義」の人として高く評価した朱喜といい、中国の歴史家は、その書で人物を描くことで、その人物の価値を後世に問い、またその人物の再評価を促す働きをする。
そのことに、自身も歴史家である陳舜臣が意識的でないわけがない。
 
史記1 本紀 (ちくま学芸文庫)

史記1 本紀 (ちくま学芸文庫)

 

 

 
では、陳舜臣は、この書で傑物たちを描くことで、何を問おうとしたのか?
 
 
ここでは、馮道を例に挙げてみよう。
馮道は、唐の後の、五代十国時代の人物である。半世紀の間に五つの王朝が興亡した。
馮道は、五つの王朝に仕えた官僚である。
 
史記に謂う「忠臣は二君に仕えず」。
忠節を重んじる立場からは、馮道の何度も主を変える行為は、恥ずべき行為であるように見える。先ほど名前の出た司馬光も馮道を批判している。
 
しかし、一見、恥辱的な行為、正しくない行為のように見えても、実はその行為がもっと大きな視点からなされていることはありうる。
 
馮道の場合は、それが民を守ろうとするノーブレスオブリージュからくる行為であった。
 
 
馮道は後晋に仕えていたが、後晋契丹族の国である遼に滅ぼされると、遼は、恐怖政治を敷き、反抗する漢族に対して大虐殺を行った。
 
このままでは民の平安は来ない。馮道は、遼の最高権力者である耶律徳光の前まで赴き、皇帝であるあなただけが中国の民を救うことができるとして、虐殺を収めるよう働きかけたという。

 

馮道は、後晋の臣であったため、後晋を滅ぼした遼にへりくだるのは、忠節の道に背いているように見える。

だが、馮道にとって最も重要な価値は、社稷を保ち、民を安養することであるのだ。

 

 

このように、本書において陳舜臣は、一見正しそうに見えない人物や、地味そうに見える人物の中から、宝物のように、隠された意味や大きな価値を拾い上げていく。

 

それは、歴史や人間を多面的なものとしてとらえ、より深みのある広い視点で捉えるよう促される。

 

それが著者である陳舜臣が、本書に込めた最大のメッセージであるに違いない。

村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」

 

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 

 

村上春樹の自己言及的なタイトルを持ったエッセイ集である、「走ることについて語るときに僕の語ること」。
 
「走ることについて語るときに僕の語ること」とは何か。
それは、村上春樹という人間そのものについて、作者の人間としての“ネイチャー”(生来的なもの)について、村上春樹の作者としての人生のあり方について、なのだろう。
 
 
自慢するわけではないが(誰がそんなことを自慢できるだろう?)、僕はそれほど頭の良い人間ではない。生身の身体を通してしか、手に触れることのできる材料を通してしか、ものごとを明確に認識することのできない人間である。何をするにせよ、いったん目に見えるかたちに換えて、それで初めて納得できる。インテリジェントというよりは、むしろフィジカルな成り立ちをしている人間なのだ。
 
 
そこで、身体を動かすことが重要となる。
他者とぶつかったときは、いつもより長い距離を走ることで、自分を磨き、自分の中に飲み込んだ上で、いつの日か物語という形で放出する。
 
ストイックでもあり、社会からの孤絶感を原料もしくは食物のように消化して放出していく動植物のようなあり方、これが作家村上春樹にとって、自然的なものとして描かれる。
 
 
小説家にとって書き続ける上で重要なのは、集中力と持続力だと説く村上にとって、走り続けることが、その力を補強するものである。
 
このような、身体の動きが精神に与える影響を重視する言説は、アランの「幸福論」を思い出させる。
 

 

幸福論 (岩波文庫)

幸福論 (岩波文庫)

 

 

 
アランも不機嫌から逃れるには、判断力ではどうにもならず、適当な運動を与えるべきだと説いたのであった。
そういえば、アランの「幸福論」とこの本は、一種のメモワールという点で共通している。
 
 
 
走るということは、村上春樹にとっては、本質的にどういうことなのであろうか?
 
 川のことを考えようと思う。雲のことを考えようと思う。しかし本質のところでは、なんにも考えてはいない。僕はホームメードのこぢんまりとした空白の中を、懐かしい沈黙の中をただ走り続けている。それはなかなか素敵なことなのだ。誰がなんと言おうと。

  

読んで、走りたくならない者はいない、そんな珠玉のエッセイ集。

宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

 

銀河鉄道の夜 (岩波少年文庫(012))

銀河鉄道の夜 (岩波少年文庫(012))

 

 

何気なく久しぶりに読んだ、宮沢賢治銀河鉄道の夜。こんなに素晴らしい作品だったことを、なぜ忘れていたのだろう。作品世界に心を奪われるということを久しぶりに経験した(カラマーゾフの兄弟以来)。
 
 
主人公のジョバンニは、作品の初めから最後まで、一貫して「寂しさ」を感じている。
父親がいない「寂しさ」、学校以外の時間を労働に充てなければならないことの「寂しさ」 、その結果、学校生活に溶け込むことができず、クラスメイトから浮いてしまうことの「寂しさ」。
 
主人公の「寂しさ」からくる孤独感が、少年を銀河鉄道の旅へといざなっていく。
 
 
旅のパートナーとなるのは、少年のクラスメイトの一人である、カムパネルラ。親同士が友人であり、幼い頃から一緒に過ごしてきた事実から、ジョバンニが最も親愛の情を感じる人物として描かれている。
 
しかし、ジョバンニとカムパネルラの境遇には断絶がある。博士という肩書きの父を持ち、裕福な家庭で育ったと思われるカムパネルラに対し、漁師であろう父親が行方不明であり、自身も働きながら家計を支えるジョバンニ。この二人の境遇の差は、ジョバンニの「寂しさ」と孤独感を、より深めるように働く。
 
 
旅の最後、カムパネルラが急に消えてしまい、ジョバンニは、車窓から闇夜に向かい絶叫する。しかし、ジョバンニは、旅の初めから、カムパネルラが途中でいなくなってしまうことを、無意識のうちに知っていたのではないかという気がしてならない。
 
 
それは、「僕たち一緒にいこうねえ」と二度もカムパネルラに確認する仕草や、カムパネルラと女の子が話している姿に悲しさを覚えるシーンからも伺えるが、何より、この旅が、孤独感のまま、丘の平野に寝転がったところから始まることが、その論拠となる。
旅とは、基本的に孤独なものなのだ。
銀河鉄道から降りた後も、孤独な旅を続けていかなくてはならないことを、この銀河鉄道の旅で学ぶことになる。
 
 
その孤独な旅は、本当の「さいはい(幸い)」を求めるジョバンニにとっては、ある種の宗教性を帯びたものになる。
 
宮沢賢治日蓮宗系の国柱会に所属していたことはよく知られている。
また、作品中、ハレルヤやバイブル等、キリスト教的なモチーフが出てくる。
しかし、作品の最後でジョバンニが決意する本当のみんなの「さいはい(幸い)」という言葉には、特定の宗教の匂いは感じない。
 
 
それは、どんなに親愛の情を感じ、心が通じあった者がいたとしても、いつかは別れなくてはならない、そして、「寂しさ」や孤独感を抱えながらも、決意を持って、自分の道を歩いていかなければならないということが、誰にとってもいつか経験し、乗り越えなければならないことであるからではないかと思う。

現在の沖縄を語ることは難しい

 

万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)

万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)

 

 

現在の沖縄を語ることは難しい。
 
 
大江健三郎という象徴的な人物がいる。60年代の学生運動と並走する形で文学作品を書き始め、その闘争的なパトスと四国の土着的な力が交差するところに生ずるカタストロフィを描いた代表作である「万延元年のフットボール」を世に出し、護憲運動に関わり、戦後民主主義を標榜する文化人。
 
大江は、「沖縄ノート」を著し、沖縄戦における日本軍の責任を批判し、沖縄に対する負い目を時折語っていたという。
 
このような、沖縄の太平洋戦争時や戦後の経緯を我が事のように考え、「負い目」を感じるという振る舞いは、戦後思想として、80年代までは力を持っていたが、おそらく2010年代末である今日においては、力を持つことはできないであろう。
 
 
これは戦後思想だけでなく、政治の世界でも同様であり、そのように「負い目」を元に沖縄政策を考えるという振る舞いができたのは、橋本元総理や小渕元総理までが最後の世代ではないかと思う。
 
翻って、現在の政権と沖縄県の関係は、辺野古新基地建設の是非という、非常に解決が難しい反面、構図としては、白か黒かの単純な対立の図式に収まっている。
 
第一、「負い目」を思い出させる存在なんてものは、近くにいて居心地の悪いものだ。正直なところ、そんな存在、あまり関わりたくないというのが人情であろう。
 
だとすれば、「負い目」なんて道徳的で情緒的な概念なんかは使わず、ただただ地政学的リアリズムで沖縄や基地を語ってみれば、自ずと沖縄についての語り口が決まるのではないか。
 
これはネット右翼が賛同しそうな意見で、今日の日本ではそこそこ支持を得られそうだが、よく考えると、意外にこの見解は、足元が心もとないのではないかと思う。
 
というのも、どうしてもこの手の議論は、イデオロギーや宗教間の争いに近くなる構図がある。
 
例えば、法律上の争いがあったとして、当初は当事者間の議論があり、段々弁護士を交えた話し合いになり、裁判に移行していく。
この場合の最終的な審級は、日本国においては最高裁判所であり、最高裁判所の判決が全てを決める。それ以上はない。もちろん最高裁の判決が常に正しいかどうかは別として。
 
一方、何がリアリズムかという争いには終わりはない。各自が、自分こそがリアリズムであると主張している世界。いくら権威のある学説やデータ、政府の高官の意見等を持ち出してきたとしても、結局のところ一意見でしかなく、裁判における最高裁判所のような最終的な審級が存在しないのだ。
 
ま、こんな回りくどい説明をしなくても、皆さんの身の回りに、「僕はリアリズムの観点から沖縄はこうあるべきなんだよね」と言う人がいたとしたら、おそらく社交辞令程度の賛意は示すかもしれないが、内心では「この人の心の中ではそうなんだろうな」と呟いて時間をやり過ごすのが関の山であろう。
 
 
ということで、意外に足場がもろい語りにしかならないのではないか。
 
「負い目」のような情緒的・経験論的な語りもできず、リアリズムのような合理論的な語りもできないのが、今日の沖縄を巡る磁場である。
 
 
現在の沖縄を語ることは難しい。
だが、我々に必要なのは、無理に分かりやすい構図に収めようとせず、ある語り方によって光があたる部分があること、逆に、見えなくなってしまう部分があることを、常に心のどこかに留めておきながら、向かい合っていくことではないか。
 
戦後民主主義の象徴として例に出した大江健三郎だって、単に道徳的で聖職者のような作家ではない。大江の代表作である「万延元年のフットボール」は、カタストロフィへの情熱と過激さを描いたものであり、土着的な雰囲気とも相まって、あえて言うと「右翼作品」と言ってもいい佇まいである。
 
分かりやすい構図に落としこまず、まず向き合ってみること。そこから全てが始まる。