坂口安吾「日本文化私観」ー「いい」ものは「いい」のだ
日本文化私観―坂口安吾エッセイ選 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)
- 作者: 坂口安吾,川村湊
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1996/01/10
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 18回
- この商品を含むブログ (60件) を見る
説明づけられた精神から日本が生れる筈もなく、又、日本精神というものが説明づけられる筈もない。日本人の生活が健康でありさえすれば、日本そのものが健康だ。
- 作者: エドワード・W.サイード,Edward W. Said,今沢紀子
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1993/06/21
- メディア: 文庫
- 購入: 12人 クリック: 114回
- この商品を含むブログ (154件) を見る
いつかコクトオが、日本へ来たとき、日本人がどうして和服を着ないのだろうと言って、日本が母国の伝統を忘れ、欧米化に汲々(きゅうきゅう)たる有様を嘆いたのであった。成程、フランスという国は不思議な国である。戦争が始ると、先ずまっさきに避難したのはルーヴル博物館の陳列品と金塊で、巴里(パリ)の保存のために祖国の運命を換えてしまった。彼等は伝統の遺産を受継いできたが、祖国の伝統を生むべきものが、又、彼等自身に外ならぬことを全然知らないようである。
だから、昔日本に行われていたことが、昔行われていたために、日本本来のものだということは成立たない。外国に於(おい)て行われ、日本には行われていなかった習慣が、実は日本人に最もふさわしいことも有り得るし、日本に於て行われて、外国には行われなかった習慣が、実は外国人にふさわしいことも有り得るのだ。
僕達は五六名の舞妓を伴って東山ダンスホールへ行った。深夜の十二時に近い時刻であった。…ダンスホールは東山の中腹にあって人里を離れ、東京の踊り場よりは遥(はる)かに綺麗だ。満員の盛況だったが、このとき僕が驚いたのは、座敷でベチャクチャ喋しゃべっていたり踊っていたりしたのでは一向に見栄(みばえ)のしなかった舞妓達が、ダンスホールの群集にまじると、群を圧し、堂々と光彩を放って目立つのである。つまり、舞妓の独特のキモノ、だらりの帯が、洋服の男を圧し、夜会服の踊り子を圧し、西洋人もてんで見栄えがしなくなる。成程、伝統あるものには独自の威力があるものだ、と、いささか感服したのであった。
「着物とダンスホール」という一見突飛であるにも関わらず、この上なくしっくりくる組み合わせは、着物の魅力を引き出す上で説得力がある。
舞妓のキモノがダンスホールを圧倒し、力士の儀礼が国技館を圧倒しても、伝統の貫禄だけで、舞妓や力士が永遠の生命を維持するわけにはゆかない。貫禄を維持するだけの実質がなければ、やがては亡びる外に仕方がない。問題は、伝統や貫禄ではなく、実質だ。
「日本文化私観」が著されてから70年以上たち、現在の我々は、観光産業、外国客誘客のため、“フジヤマ”“ゲイシャ”的なモチーフを微温的に利用し、“クール・ジャパン”の名のもと、マンガやアニメを、絵巻物等、日本の古来の伝統につながるもの、として称揚している。
霞を食べて生きていくことはできない以上、食いぶちを稼ぐために、過去の日本の文化のモチーフを利用するのも、やむを得ないのかもしれない。
だが、古来からのモチーフだけにこだわっていては、自らの見方を狭くしてしまわないだろうか。
アニメやマンガが素晴らしいのは、古来の日本の伝統につながっている「から」、素晴らしいのではない。
アニメやマンガは、伝統如何に関わらず、「それ自身で」素晴らしい。
そう、「いい」ものは「いい」のだ。
そんな当たり前のことを思いだし、健康的な認識を取り戻すために、「日本文化私観」はおすすめです。
吉田一郎「世界飛び地大全」ー九龍城砦は如何にして九龍城砦となったのか?
俗に「無法地帯」と呼ばれるところは世界中にたくさんあるが、たいていは「犯罪が多くて治安が悪く、法律がまるで有名無実と化しているような場所」という程度の意味。ところが九龍城砦は現実にどこの国の法律も適用されない一角だった。そんじょそこらの無法地帯とは格が違ったのだ。
夏目漱石「草枕」ー「職人」漱石による非人情の世界
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通して、飽々した。飽き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である。
しばらくこの旅中に起る出来事と、旅中に出逢う人間を能の仕組みと能役者の所作に見立てたらどうだろう。
【映画】新海誠「天気の子」ーその「反道徳性」と「子ども」の世界
コリン・パウエル「マイ・アメリカン・ジャーニー」
マイ・アメリカン・ジャーニー“コリン・パウエル自伝”―少年・軍人時代編 (角川文庫)
- 作者: コリン・L.パウエル,ジョゼフ・E.パーシコ,Colin L. Powell,Joseph E. Persico,鈴木主税
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2001/03
- メディア: 文庫
- クリック: 23回
- この商品を含むブログ (10件) を見る
専攻科目を落第したことを話すと、両親は失望した。また、例のコリンだ。いい子だけど、方向が定まらない。そして、私が新しい専攻科目について告げると、すぐさま家族会議が開かれた。… 地質学をやって何をするの?… 石油でも掘り当てるつもりかい?
一九六一年の夏に、三年の兵役義務が終わるので、除隊しようと思えばそれも可能だった。だが、除隊することは考えてもいなかった。… 黒人にとっては、アメリカの社会のどこへ行ってもこれほどの機会を与えてくれそうもなかったのだ。だが、何よりも重要なのは、自分のしていることが好きだという点だった。
これまで、アフリカ系アメリカ人のあいだには、兵役につくことについて、つねにもやもやした感情があった。長いあいだ、自分たちのために一度も戦ってくれたことのない国のために、なぜ戦わなければならないのか?…そうは言っても、尊ばれ、蔑まれ、あるいは歓迎され、いじめられながら、何十万というアフリカ系アメリカ人が建国当初からこの国のためにつくしてきた。…ハリー・S・トルーマン大統領が軍隊内での人種差別に終止符を打つ大統領命令に署名したのは、一九四八年七月二十六日だった。…つまり、陸軍はアメリカの他の分野に一歩先んじて民主主義の理想を実現していたことである。…したがって、陸軍にいたおかげで、私はさまざまな欠点があるこの祖国を愛することも、心の底から祖国に奉仕することも容易にできたのである。
陳舜臣「中国傑物伝」
馮道は、後晋の臣であったため、後晋を滅ぼした遼にへりくだるのは、忠節の道に背いているように見える。
だが、馮道にとって最も重要な価値は、社稷を保ち、民を安養することであるのだ。
このように、本書において陳舜臣は、一見正しそうに見えない人物や、地味そうに見える人物の中から、宝物のように、隠された意味や大きな価値を拾い上げていく。
それは、歴史や人間を多面的なものとしてとらえ、より深みのある広い視点で捉えるよう促される。
それが著者である陳舜臣が、本書に込めた最大のメッセージであるに違いない。