映画「ボヘミアン・ラプソディー」を見て

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映画「ボヘミアン・ラプソディー」を見ました。
 
正直なところ、QUEENに対しては、大味で大袈裟なロックをやるバンド以上の印象を持っていませんでした。しかし、映画を見た後では、そのような過剰な装飾を纏ったサウンド作りも、ボーカルであるフレディ・マーキュリーの、誰にも理解されえぬことからくる魂の叫びによるもののように感じてしまう、そんな心を揺り動かされる映画でした。
 
まず、セクシャル・マイノリティであるフレディが追い詰められていく描写が大変リアルで、視聴者側は見ていて胸が痛みます。
両親は厳格なゾロアスター教徒のインド人で、父親と対立し、イギリス社会の中では特徴的な容姿や出自に悩み、自分を理解してくれる他人を常に求め、結婚まで考えた女性とよい関係を築き続けたいが、自己のセクシャリティに気づき始め、その結婚は破局に向かってしまう…。
周囲の状況に追い詰められていくフレディに視聴者も感情移入していきます。
 
一時的にフレディのパートナーとして描かれるマネージャーが、スタジオに入り浸ることで、バンドメンバーとフレディの関係が悪化するシーンは、ジョン・レノンオノ・ヨーコがべったりとなることでメンバー間の関係が悪化したビートルズを思い出しました。
やはり、バンドメンバー間には、ある種の同士愛が必要で、他の誰もが入り込めない空間を作る必要があるのかもしれません。
 
フレディを追い詰めていく役回りの一つとして、フレディのセクシャリティを追及する記者団がいましたが、あの記者団一人一人を、過剰に悪役的に演出せず、あくまで模範的で誠実そうな人間として描いていたのは、印象的でした。
孤立した者を追い詰めていくのは、悪意を持って振る舞う特別な人間なのではなく、あくまで普通のどこにでもいる人間なのでしょう。
 
マイノリティというと、特別な存在であるような受け取られ方をされますが、完全なマジョリティである者も実は存在せず、人はある一面においては誰しもマイノリティなのではないかと思います。それでも人は人との繋がりを求め、また愛し合う。この映画が多くの人の心を打つのは、そういう人間存在の根底に触れている映画だからなのではないでしょうか。