陳舜臣「中国傑物伝」

 

中国傑物伝 (中公文庫)

中国傑物伝 (中公文庫)

 

 

歴史上の偉人に憧れた経験は、誰しもあるだろう。
 
私は、「三國志」を読み、まず、諸葛亮孔明に魅せられた。
三國志演技がベースとなった、その知謀と風雨すら操る仙人的な演出のなされた孔明は、幼い頃の私には大変魅力的な存在であり、そこから、歴史好きな自分のベースが作られたように思う。
 
諸葛亮孔明は、劉備玄徳と並び、「三國志」におけるスター選手だが、陳舜臣の「中国傑物伝」で掲げる、漢の宣帝、張説、馮道、王安石劉基順治帝…は、スター選手とまでは言えない。
 
漢の皇帝であったら、まず挙がるのは光武帝であろうし、唐の時代ならば、張説ではなく、李世民玄宗が主人公となるであろう。王安石は教科書でも名前が出るが、どちらかというと、彼の政敵である司馬光の方が人気がありそうだ。
 
本書でももちろん、張良曹操などの有名な人物も描かれるが、傑物として挙げられる16人は、どちらかというと全体として「シブい」セレクトではないかと思う。
 
伯夷、叔斉を「史記」列伝の先頭に記し「天道、是か非か」と説いた司馬遷といい、諸葛亮を「義」の人として高く評価した朱喜といい、中国の歴史家は、その書で人物を描くことで、その人物の価値を後世に問い、またその人物の再評価を促す働きをする。
そのことに、自身も歴史家である陳舜臣が意識的でないわけがない。
 
史記1 本紀 (ちくま学芸文庫)

史記1 本紀 (ちくま学芸文庫)

 

 

 
では、陳舜臣は、この書で傑物たちを描くことで、何を問おうとしたのか?
 
 
ここでは、馮道を例に挙げてみよう。
馮道は、唐の後の、五代十国時代の人物である。半世紀の間に五つの王朝が興亡した。
馮道は、五つの王朝に仕えた官僚である。
 
史記に謂う「忠臣は二君に仕えず」。
忠節を重んじる立場からは、馮道の何度も主を変える行為は、恥ずべき行為であるように見える。先ほど名前の出た司馬光も馮道を批判している。
 
しかし、一見、恥辱的な行為、正しくない行為のように見えても、実はその行為がもっと大きな視点からなされていることはありうる。
 
馮道の場合は、それが民を守ろうとするノーブレスオブリージュからくる行為であった。
 
 
馮道は後晋に仕えていたが、後晋契丹族の国である遼に滅ぼされると、遼は、恐怖政治を敷き、反抗する漢族に対して大虐殺を行った。
 
このままでは民の平安は来ない。馮道は、遼の最高権力者である耶律徳光の前まで赴き、皇帝であるあなただけが中国の民を救うことができるとして、虐殺を収めるよう働きかけたという。

 

馮道は、後晋の臣であったため、後晋を滅ぼした遼にへりくだるのは、忠節の道に背いているように見える。

だが、馮道にとって最も重要な価値は、社稷を保ち、民を安養することであるのだ。

 

 

このように、本書において陳舜臣は、一見正しそうに見えない人物や、地味そうに見える人物の中から、宝物のように、隠された意味や大きな価値を拾い上げていく。

 

それは、歴史や人間を多面的なものとしてとらえ、より深みのある広い視点で捉えるよう促される。

 

それが著者である陳舜臣が、本書に込めた最大のメッセージであるに違いない。