陳舜臣「中国傑物伝」
歴史上の偉人に憧れた経験は、誰しもあるだろう。
漢の皇帝であったら、まず挙がるのは光武帝であろうし、唐の時代ならば、張説ではなく、李世民や玄宗が主人公となるであろう。王安石は教科書でも名前が出るが、どちらかというと、彼の政敵である司馬光の方が人気がありそうだ。
伯夷、叔斉を「史記」列伝の先頭に記し「天道、是か非か」と説いた司馬遷といい、諸葛亮を「義」の人として高く評価した朱喜といい、中国の歴史家は、その書で人物を描くことで、その人物の価値を後世に問い、またその人物の再評価を促す働きをする。
そのことに、自身も歴史家である陳舜臣が意識的でないわけがない。
では、陳舜臣は、この書で傑物たちを描くことで、何を問おうとしたのか?
ここでは、馮道を例に挙げてみよう。
馮道は、唐の後の、五代十国時代の人物である。半世紀の間に五つの王朝が興亡した。
馮道は、五つの王朝に仕えた官僚である。
史記に謂う「忠臣は二君に仕えず」。
忠節を重んじる立場からは、馮道の何度も主を変える行為は、恥ずべき行為であるように見える。先ほど名前の出た司馬光も馮道を批判している。
しかし、一見、恥辱的な行為、正しくない行為のように見えても、実はその行為がもっと大きな視点からなされていることはありうる。
馮道の場合は、それが民を守ろうとするノーブレスオブリージュからくる行為であった。
このままでは民の平安は来ない。馮道は、遼の最高権力者である耶律徳光の前まで赴き、皇帝であるあなただけが中国の民を救うことができるとして、虐殺を収めるよう働きかけたという。
馮道は、後晋の臣であったため、後晋を滅ぼした遼にへりくだるのは、忠節の道に背いているように見える。
だが、馮道にとって最も重要な価値は、社稷を保ち、民を安養することであるのだ。
このように、本書において陳舜臣は、一見正しそうに見えない人物や、地味そうに見える人物の中から、宝物のように、隠された意味や大きな価値を拾い上げていく。
それは、歴史や人間を多面的なものとしてとらえ、より深みのある広い視点で捉えるよう促される。
それが著者である陳舜臣が、本書に込めた最大のメッセージであるに違いない。