コリン・パウエル「マイ・アメリカン・ジャーニー」

 

マイ・アメリカン・ジャーニー“コリン・パウエル自伝”―少年・軍人時代編 (角川文庫)

マイ・アメリカン・ジャーニー“コリン・パウエル自伝”―少年・軍人時代編 (角川文庫)

 

 

私の自伝は、貧しい移民の家庭に生まれ、なんの期待もされていなかった黒人の子供が、サウスブロンクスで育てられ、どういうわけかアメリカ大統領の国家安全保障担当補佐官になり、やがて統合参謀本部議長になる物語である。
 
コリン・パウエルは、アフリカ系アメリカ人で初めて米国の国務長官を務め、四軍を束ねる統合参謀本部議長時代には湾岸戦争の指揮を執った人物。
 
軍人でありながら(むしろ、だからこそ)、軍事力の行使に抑制的であり、彼の活躍が後のオバマの台頭につながった側面もある、アメリカン・ドリームを体現するような人物である。
 
 
私は、何かに行き詰まったとき、思い悩んだとき、何かを決断するときに、この書を読む。
この書は、勇気と力を与えてくれる、私にとって本当に大事な本である。
 
専攻科目を落第したことを話すと、両親は失望した。また、例のコリンだ。いい子だけど、方向が定まらない。そして、私が新しい専攻科目について告げると、すぐさま家族会議が開かれた。… 地質学をやって何をするの?… 石油でも掘り当てるつもりかい?
 
 
子供の頃からうまくいっていたわけではないし、人生で歩むべき道が見えていたわけではない。大半の人間はそうなのかもしれない。
では、どのようにしてコリン少年は、コリン・パウエルとなったのか?
 
一九六一年の夏に、三年の兵役義務が終わるので、除隊しようと思えばそれも可能だった。だが、除隊することは考えてもいなかった。… 黒人にとっては、アメリカの社会のどこへ行ってもこれほどの機会を与えてくれそうもなかったのだ。だが、何よりも重要なのは、自分のしていることが好きだという点だった。
 
アメリカ社会における黒人差別の現状がある。人種差別はあってはならず、平等の機会は市民にとって保障されるべきというのが、アメリカの理想であるはずだか、現実の社会はそうなっていない。
 
だが、そのアメリカの理想が先んじて実現された場所があった。
コリンにとって、それは軍隊だったのだ。
 
 
これまで、アフリカ系アメリカ人のあいだには、兵役につくことについて、つねにもやもやした感情があった。長いあいだ、自分たちのために一度も戦ってくれたことのない国のために、なぜ戦わなければならないのか?
…そうは言っても、尊ばれ、蔑まれ、あるいは歓迎され、いじめられながら、何十万というアフリカ系アメリカ人が建国当初からこの国のためにつくしてきた。
ハリー・S・トルーマン大統領が軍隊内での人種差別に終止符を打つ大統領命令に署名したのは、一九四八年七月二十六日だった。
…つまり、陸軍はアメリカの他の分野に一歩先んじて民主主義の理想を実現していたことである。
…したがって、陸軍にいたおかげで、私はさまざまな欠点があるこの祖国を愛することも、心の底から祖国に奉仕することも容易にできたのである。

 

 

自分が望むこと、組織や共同体が理想とすること、この2つが一致することは、残念ながらそう多くはない。
 
多くの場合、自分がうまく組織や共同体の望みと折り合いをつけて、双方そう不満がない形でお互いやっていくしかない。
そういう退屈なリアリズムで、世の中は動いているのでは。そう感じるときがある。
特に、自分が、組織や共同体におけるマイノリティであるのであれば、なおさらである。
 
だが、もしかすると、個人も理想を持ち続けることで、組織や共同体も変わっていくのかもしれない。
もちろんそれには個人の強い信念と、その後に続いていく多くの人間の存在が必要なのかもしれないけれども。
 
自分の信じる道を突き進むことが、組織や共同体の理想ともつながる。そういう回路がありうるのだ。
確かにそう思わせてくれる名著である。