井上勝生「幕末・維新」ー南アフリカから明治維新を考える
はじめに
南アフリカの部族社会は、「未開」とされていたが、実は包容力のある独自の文化を築いており、時代は下り、後にアパルトヘイトと戦うネルソン・マンデラのような指導力のある人物が生まれてくるような土壌があった。
では、黒船来航前の日本はどうだったのか?文明開化前の西欧に「遅れていた」だけの文化だったのか?
これが本書のテーマの一つである。
日本の幕末のステレオタイプなイメージ
日本の幕末のイメージは、概ね、以下のとおりだと思う。
その結果、大きな技術発展はなく、閉鎖的な社会環境の中、欧米に技術力や工業力で格差をつけられ、アヘン戦争など、隣国の清が欧米列強にいいようにされる中、日本も国際環境から大きなプレッシャーを受けてくる。
江戸幕府の巧みな外交
このステレオタイプな幕末のイメージに対して、本作品は「再検討」を行っている。
印象的なのが、ペリー来航のシーン。
ペリーが浦賀湾から上陸する。
迎えるのは、浦賀奉行所の与力中島三郎助。
ペリーらが上陸次第、「日本の高官」でなければ対応しない、と宣言したのに対し、与力中島三郎助は、「日本の国法」では、「日本の高官」(奉行)が異国船に対応することはないと毅然とした対応をとる。
その後、ペリーが携えてきたアメリカ大統領の書翰を受け取るかどうか、幕府内で議論となるが、最終的に受けとるとした結論の根拠が、
①世界貿易の発展を説くオランダ国王の忠告(オランダからの国際情勢に関する情報提供もある)
②アヘン戦争で大国である中国ですら欧米に敗北したという認識
③海洋国家でありながら、海岸の軍備など、軍事力が整っていないこと、
の三点、であったとする。
ここで印象的なのが、幕府のペリーに対する対応は、少なくとも現場レベルでは毅然とした対応をとっており、「弱腰」外交というイメージとは異なっていること。
文化面や産業面についても同様であり、江戸女性が欧米人から気品が溢れているとして評価が高かったこと、在来手工産業の結晶である江戸の快速船が、ペリーから称賛されたこと、など、江戸時代は「遅れていた」文化という見方に再検討を促す。
江戸時代や幕末を考え直すきっかけに
「泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん)たつた四杯で夜も眠れず」という幕末の有名な狂歌があるが、もしかすると、この歌や、維新勢力が唱えた「徳川幕府は「弱腰」」というイメージに、現代の我々も引っ張られすぎなのかもしれない。
もちろん本書の見方も、ある一面を切り取ったものかもしれない。
だが、改めて考え直すにはいい本だと思う。
江戸時代や幕末、明治時代については、今後も色々調べてみたい。