児童相談所の実態について

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千葉県で起きた事件を皮切りに、児童虐待問題の悲惨さとその防止のための対策の必要性が指摘されています。
 
よく言われるように、まず我々ができることとしては、児童相談所の人員を増やすことと、虐待防止対策のために必要な予算を確保することなのではないかと思います。
 
このような事件が起こった場合、後日、事件に関する検証作業が行われます。今回の事件でも必ず行われることになるでしょう。
その中で、初期対応から、その後の相談の経緯、事件発生から、その後の対応まで、関係する機関の対応が時系列で網羅的に把握され、どのプロセスに問題があったか、検証されることになります。
 
もちろん、次の事件を生み出さないためにも、事件の検証はしっかり行われるべきであるし、その検証を受け、児童相談所や警察等の関係機関の対応の質のさらなる向上につながることもあるかもしれません。
 
ただ、ここで難しいのが、何が正しい対応だったのかというのが、実は事後にならないとわからない部分があるということです。
 
ご縁があり、児童相談所に関わる機会があるのですが、児童相談所の相談員さんとの話の中で出てくるのが、個々の相談の重要性がどの程度なのか判断することの難しさについてです。
 
例えば、相談員さんが、電話相談を受けるとします。児童相談所の電話相談は、よく言われているようにものすごい数になります。児童相談所によっては、電話が鳴りっぱなしのところも珍しくないでしょう。
 
そこで電話を受けて、お話を聞くわけですが、お電話を受けた内容は、どれも深刻そうに思われる。そこで、電話を受けた相談員は、程度の深刻さを判断することになります。相談全てに即座に対応していては、人員も時間も足りなくなるため、相談内容の深刻さに応じて、相談ごとに対応の順番をつけざるを得なくなるわけです。この最初の判断で誤りが起こる可能性があるでしょう。
 
もう1つとして、相談だけでは状況の全てが把握できるわけではないということです。
相談を受けていろいろ話を聞くわけですが、全体の状況は最初は断片的にしかわからない。相談者の方が自分の状況を全て把握していない場合や言語化できていない場合もあるでしょう。そのような状況で、相談員は自身の感覚に基づき、深刻な背景を感じ取った場合、家庭訪問等を行うことで、家庭の問題を把握していくわけですが、このようなプロセスの中でうまく問題を把握できなかった場合、今回のような悲劇的な事件が生じてしまうのですが、問題の把握1つとっても、現場にいる者のセンスに委ねられている部分があるように思えます。
 
もちろん、だからといって、児童虐待の発生が許されていいわけではありません。
検証作業の中で、個人の感性に委ねられている部分についても、ある程度マニュアル化できる部分や仕組みづくりが可能な部分もあるかもしれません。
 
ただ、もし今後、国を挙げて、児童虐待防止のための方策を検討していくのであれば、このような現場の状況もよく知っている人間が、その検討に関わるべきだと考えます。
単にああすべきこうすべきだけでは解決に結びつかず、必要なのは、実態に即した現実的な対応であり、リアルな状況も踏まえた対策が立てられて欲しいと思います。

「音楽」の将来を予想する

 

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

 

 

私は音楽が好きなので、音楽が人類にとってのよき友人であり続けることを、21世紀に生きる人間の一人として願っています。
 
ですが、将来の音楽は、今私たちが親しんでいるような音楽とは、少し違ったものになっていく可能性もあるでしょう。
 
 
もともと、音楽は言語から派生して発展してきたのだと、歴史は語ります。
 
例えば、聖歌。西欧音楽のルーツの一つに、グレゴリオ聖歌があることは、よく語られるところです。
そこで聖歌の音階は神の言葉と固く結びつけられ、現代のように五線譜の上で音階を構築せずとも、例えばお経のように、言葉の音韻やリズムから必然的にメロディが導き出されるような音楽が、修道院などで響いていた…。
 
そこから、時代が下り、モーツァルトやベートーベンの時代には、音楽は完全に言語や宗教から独立するようになります。
それを支えるのは、王候貴族から経済的に自立するようになった市民社会
貴族のパトロンがいなくとも演奏会は成立するようになり、一般市民が休日に友人たちと演奏をして楽しむようになります。
もちろんモーツァルトマリー・アントワネットの逸話が示すとおり、音楽家にとって、貴族とのつながりが失われたわけではありませんでしたが、その役割は徐々に市民社会に譲っていくことになる…。
音楽にとって、全盛期の一つであったでしょう。
 
さらに時代は下り、20世紀になっていくと、ヨーロッパの成熟化とアメリカの勃興、資本主義社会の発展に伴い、クラシック(西欧古典音楽)からポップス・ロックミュージック等(英米大衆音楽)が主流となり、音楽の発展を支えるのは、商業資本と視聴者である大衆となっていきます。
 
ここでは、音楽を作成するのは、商業資本(に支えられた職業音楽家)となり、音楽は大衆に馴染みやすいメロディとなる一方、音楽の録音・普及に多額の資本が必要となるに伴い、音楽の担い手と聞き手の分離が進んだ時代といってもいいのかもしれません。
 
ロックスターはかつての軍事的英雄のようにカリスマ的な存在となるとともに、一般庶民からは離れた存在となる…。
これはつい最近まで、1990年代までの音楽を説明できる状況であるように思えます。
 
 
しかし、2010年代の音楽をめぐる状況は、上記の状況からさらに変化したものだと言えそうです。
 
CDが売れないとは、よく聞くセリフです。
これは、上で描いた商業資本と大衆のつながりが失われつつあることを示します。
いや、ダウンロード販売やライブ等関連産業の経済的効果を考えれば、音楽業界の売り上げが落ちているわけではないとの意見もあると思いますが、その意見で述べる音楽産業の変化こそが、まさに上記の商業資本と音楽の結びつきが変化してしまったことを示しているものと思います。
 
私が言いたいのは、悲観論ではなく、音楽をめぐる状況の変化です。
 
現代におけるYoutubeの隆盛を考えてみましょう。
Youtubeに投稿される音楽は、もちろん従来型の商業ベースで販売している音楽もアップされますが、投稿者が作曲・演奏した音楽が投稿され、視聴者の支持を得ていることも知られています。ニコニコ動画等においても同様でしょう。
 
これは、現代のインターネットの発展やIT技術の進展が背景にあるものであり、技術発展に伴い、音楽の担い手の変化を示すものではないかと思えます。
 
音楽の発信手が、商業資本・職業音楽家から、かつてのベートーベンの時代のように、一般市民に戻りつつあるのかもしれません。
先ほど述べた、ダウンロード販売の発展も、音楽の担い手の多様化を示す現象(高度の資本の蓄積がなくとも音楽を普及させることができる)の一つなのではないでしょうか。
 
そこでは、音楽の担い手はカリスマ的なロックスターではなく、どこにでもいる普通の人間となる。一般家庭におけるPCの普及により、高度の資本がなくとも作曲が可能となる。
 
 
こうなると、今後、音楽がどのように発展していくかについてです。
ここからは何の裏付けもない、私の完全な想像となりますので、ご注意ください。
 
音楽の歴史を振り返ってみると、ベートーベン等、古典派時代のソナタ形式のように、担い手が多様化するに伴い、逆説的に音楽の「形」は、一定の形式を持つということがあるかもしれません。
 
Spotifyの隆盛、中国における音楽のネット配信の普及等を見るに、音楽は携帯してきくものという流れが進み、そこから、携帯しても聞きやすい音楽、が選ばれる傾向が生まれるはずです。
なお、ここでいう「形」とは、いわゆる音楽のジャンルを意味しているわけてではなく、もっと広い概念で使っています。
 
次に、一見、上とは矛盾しているように思えるかもしれませんが、音楽において言語との結びつきが強くなることに伴う「地域性」の要素が強くなるのではないかと考えます。
 
将来、PCのソフトで作曲するにせよ、自宅で楽器を演奏して作曲するにせよ、従来のように五線譜の上で設計するような作曲はしなくなるでしょう。
そうなると、かつて中世の修道院で流れていた聖歌のように、再び言葉と音楽の結びつきが強くなるのではないかと想像します。
 
聖歌だと、現代の音楽とのつながりがイメージしにくいかもしれないので、ヒップホップを挙げてもいいかもしれません。 
 
ヒップホップのラップは、まさに言葉としっかりと結びついた音楽です。言葉の韻こそがリズムを生み、メロディを生み出す。
ヒップホップは即興性も重要であり、五線譜の上で構築された音楽ではない。また、アメリカンカルチャーから生まれてきた英語圏の音楽ですが、このように、世界の様々な人間が音楽を発信することで、世界各地域の言語に結びついた韻とリズムを持った音楽が生まれてくるのではないかと想像します。
 
以上をまとめると、私が将来世界で普及すると考える音楽の形とは、
携帯しながら聞ける一定の形式を持った音楽でありながら、
世界各地の言語に基づいた地域性のある音楽、
なのではないかと考えます。
 
今後、新しい音楽が生まれてくるのを非常に楽しみにしています。

24年前の阪神大震災の記憶から私たちが受け継ぐべきもの

24年前の1月17日に発生した阪神・淡路大震災。年月が経過するのは早いものです。
 
私は16年前、神戸に住み始め、5年ほど神戸のまちに馴染ませてもらいました。
 
震災から8年。屋根が崩落したJR六甲道駅も、当然完全に復旧しており、賑わう街並み。
初めて見た神戸のまちの印象は、「きれいすぎる」というものでした。
効率的に区画整理された住宅地、路地すらもまっすぐ続く街並み、整い過ぎた街路樹…
 
震災で旧来の街並みが全て破壊されてしまった結果でした。
その瓦礫の跡から、効率的で不自然に清潔なまちが生まれてきたのです。
 
もちろん、これはJR路線以南の、震災の被害が大きかった地域に限定されており、阪急電車路線沿い等、昔ながらの趣のある街並みも残り続けています。
 
しかし、破壊されたものの中には、その街並みやそこで生きる人間が生み出すある種の文化があることは間違いないでしょう。
 
 
一方、阪神大震災によって、生み出されたものもあります。
 
震災後は、ボランティア元年とも呼ばれたように、自発的な市民活動が活発になり、コミュニティの再生が謳われた時期もありました。
 
もちろん、全てが現在もうまくいってるわけではありませんが、阪神大震災そして東日本大震災でも絆という言葉に象徴される震災コミュニティの発生が、人々を勇気づけ、新たな日本社会の訪れを感じさせたことは間違いありません。
 
阪神大震災の後、東日本大震災のときと同様に、家を失った者を支援するため、震災復興公営住宅の建設が進みます。
 
この施策は、住居確保を進める反面、公営住宅に住む世帯の大きな部分が高齢者世帯であったこともあり、入居世帯の社会的孤立への対策や地域とのつながりの維持を行う必要が生じます。
 
この点、阪神大震災の発生時点から活動していた、保健師やボランティアによる個別訪問、部屋を一軒一軒まわり、各戸のニーズを把握する営みが、震災から8年後の公営住宅であっても力を発揮していました。
 
なお、この個別訪問の取り組みは、東日本大震災においても、仮設避難所等で見られたものです。震災という非常事態により、その社会的必要性に基づいて生み出された、ある種の「文化」なのかもしれません。
 
危機的状況においても、人間というのは低劣な振る舞いを見せることもあれば、崇高で尊い振る舞いを見せることもあるという、人間一般に関わる一つの真理なのでしょう。
 
そのように、震災で得られた経験や気持ちを、形になるものや形にならないものも含め、今生きる者たちで受け継ぎ、共有するのが、毎年の1月17日という日なのかもしれません。

くまもんが「仕事の流儀」に登場!

各分野で活躍する「職人」たちを取り上げて、その仕事ぶりや生きざまを特集する、NHKプロフェッショナル 仕事の流儀」。
今回取り上げた職人は、なんと全国で最も有名なゆるキャラである、熊本県の「くまもん」!
 
くまもんが生まれた背景から現在の活躍まで、ダイジェストで放映する内容となっていましたが、くまもん、思ってたより、奥が深い。。。
 
今回の放送で、何度か登場する印象的な表現である、
「皿を、割れ」
 
くまもんは、熊本県庁という行政組織の中から生まれてくるわけですが、行政というのは、守りの組織であり、貴重な税金を国民・県民からお預かりしている立場であることもあり、突き抜けたこと、無駄なことはできない。そういう考え方になりがちなところがあります。
 
番組でも取り上げられていましたが、くまもんの活動が軌道に乗るまでは、くまもんの活動について「行政が税金を無駄遣いしている」という批判的な意見をいただいていたとのことです。
 
これはなかなか難しいところです。
くまもんのプロモーションが成功した現時点から見ると、くまもんの活動は投入した費用以上の経済効果が発生しており、大成功であると評価できます。
 
しかし、もしうまくいっていなかった場合、確かに「税金の無駄遣い」と評価されてしまう可能性があった。また、そもそもそういう産業のプロモーションは、行政の役割ではなく、民間企業がやるべきであるという立場に立った意見もあるかもしれません。
 
その中で、熊本県庁は、くまもんプロジェクトを進めることを選んだ。。。
皿を割れとは、失敗を恐れず、理想を求める姿勢のことであり、番組中では、「くまもんの精神」と表現されます。
 
行政が、どこまでやるべきか。。。
現代日本は成熟した市場を持つ社会であり、企業の経済活動も重要ですが、一方、行政も常に受動的でいる必要はなく、積極的に活動すべき瞬間もあるでしょう。
 
そういう官民のあり方や、官民を越えて、社会人としての仕事に対する姿勢を、今回の放送で、くまもんに教えてもらったような気がします。
 
くまもん氏、ありがとうございます。

「元号ジェネレータ」がとっても面白い

元号ジェネレータというサイトが、すごく面白いのでご紹介します。
 
 
使い方は、とっても簡単。
画面中央のテキスト入力欄に、好きな漢字2文字入力すると、「平成」のときの小渕氏のように、安倍総理か菅官房長官が、その漢字を年号にして発表してくれます。
 
 
実際に入力してみたのがこちら。
 

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結局、西暦かい!というツッコミがきそう。
安倍さんのドや顔がいいですね。
 
 
 

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次はこちら。
隣国に併合されてしまったバージョン。
 
 
 
 

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お次はこちら。
政敵?の名前も使えます。「小沢一年」って語呂もいいです。
 
 
 
 

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菅さんバージョンもできます。
ブラック企業ならぬブラック国家であることを自信ありげにPR。
 
 
 
 

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こちらも。
官房長官が、スターリンポル・ポトのように見えてきます。
 
 
時間つぶしにぜひご活用ください。

BSフジ「2019「安全保障」展望」

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BSフジ20時から放送している硬派の報道番組を偶然視聴しました。
 
本日のゲストは、前防衛相の小野寺氏と前防衛大学校校長の五百旗頭氏で、今年の安全保障の展望について語るという大変重い内容でした。
 
五百旗頭氏は、お見かけする機会が以前よくあったので、個人的にはとても(勝手に)懐かしい気持ちにさせていただきました。
 
中国の動向が話題に上がり、昔と比べると軍事費が50倍になっていることが指摘されていました。隣国の高まる軍事力には、日本はどう対応すべきか。五百旗頭氏は、中国とは協商関係でウィンウィンの関係を維持するとともに、日米同盟を引き続き確固たるものにしていくべき、との意見を述べていました。
 
五百旗頭氏は、「宮澤喜一保守本流の軌跡」という共著もあるように、吉田茂から宮澤喜一に連なる自民党軽武装、日米同盟重視の流れを保守本流であるとして重視する立場の学者でもあります。
 

 

90年代の証言 宮澤喜一―保守本流の軌跡

90年代の証言 宮澤喜一―保守本流の軌跡

 

 

 
ただ、五百旗頭氏にしても小野寺氏にしても、中国と日本は、近年は関係が比較的良好であるという認識でいることは印象的でした。
 
また、ロシアのクリミア併合と防衛省の新防衛大綱の話が大変興味深く、思わず引き込まれてしまいました。
 
クリミア併合において、ロシアがとった戦略は、まず、ウクライナの電話回線状況を電磁波で悪化させ、SNS等でフェイクニュースを流し、通信状況を撹乱させて、ウクライナが状況を把握できない状況下のもと、静かに物理的に制圧を行うやり方であったそうです。そして、これが21世紀の戦略であることが小野寺氏より指摘していました。
 
小野寺氏は21世紀の新しい戦争であることを強調したかったのだと思いますが、私は、満州事変における日本軍による満州制圧の経緯を思い出しました。
 
ともあれ、これだけスマートフォンが全国民に普及し、スマートフォンでアクセスできる情報が現実の大きな部分を構成している現代日本で、このような戦略をとられてしまったらひとたまりもないので、確かに警戒すべき事態であるのは、間違いないでしょう。
 
そのような社会の「神経系」である通信状況の確保が重要であることを指摘した上で、新防衛大綱で宇宙・サイバー空間にも対応するクロス・ドメインの概念に触れていたのは、今後の世界情勢を考える上でも、大変勉強になりました。
 
普段は経済ニュースばかり追っかけていますが、色々な視点で国際情勢を考えなくてはいけないですね。

アップルショックに関するアップルの発表

 
年初めの国際経済を賑わせましたアップルショックに関して、アップルの見解が発表されているので、解読してみましょう。
 
年初の株安の原因となったアップルの売上見込減について、アップルの発表によりますと、
今期の売上高の変動要因については、予測済みの要因と予測外の要因があるとし、
予測済みであった要因としては、
 
iPhoneの発売日が前年と異なることによる影響
②ドル高による売上高減
③製品のサプライ面での制限
予測外の要因としては、
新興市場の経済の弱さ
iPhoneの買い替えニーズの弱さ
が挙げられています。
 
これらは全て売上高が前年比と比べ減少する要因です。
確かに①~③までは予測可能な要因ですので、アップルとしては、①~③の売上減少要因はあるにせよ、新興市場の伸びと買い替えニーズの強さから、減少要因をプラスで打ち消せると思っていたところ、そうではなかったという説明となっています。
 
この④と⑤の要因が本当に予測できなかったかというと、わかりません。
あえて売上見込みを強気に見せていた可能性もあるかもしれません。
 
ただ、この発表をそのまま信じるとすると、次の結論が見つかることになります。
 
次期以降も前年比では減少するであろうということです。
なぜならば、③④は米中経済摩擦等によりしばらくは解消する見込みがなく、⑤もiPhoneユーザーの傾向なので対策があまりないからです。電池交換のコストを上げるぐらいでしょうか。
前年比で増加させるには、アップルの発表をそのまま信じるとすると、売上高に影響があるぐらいドル安が進むか、消費者訴求力の強い新しいiPhoneを販売するか、しかないような気がしますが、現時点ではどちらも可能性が薄そうに思えます。
 
状況が変わるとすれば、米中の通商協議の行方と、それに伴うアップル製品のサプライチェーンの変動等でしょうか。
 
再び、注意深く見守ってみたいと思います。