村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」
村上春樹の自己言及的なタイトルを持ったエッセイ集である、「走ることについて語るときに僕の語ること」。
「走ることについて語るときに僕の語ること」とは何か。
自慢するわけではないが(誰がそんなことを自慢できるだろう?)、僕はそれほど頭の良い人間ではない。生身の身体を通してしか、手に触れることのできる材料を通してしか、ものごとを明確に認識することのできない人間である。何をするにせよ、いったん目に見えるかたちに換えて、それで初めて納得できる。インテリジェントというよりは、むしろフィジカルな成り立ちをしている人間なのだ。
そこで、身体を動かすことが重要となる。
他者とぶつかったときは、いつもより長い距離を走ることで、自分を磨き、自分の中に飲み込んだ上で、いつの日か物語という形で放出する。
ストイックでもあり、社会からの孤絶感を原料もしくは食物のように消化して放出していく動植物のようなあり方、これが作家村上春樹にとって、自然的なものとして描かれる。
小説家にとって書き続ける上で重要なのは、集中力と持続力だと説く村上にとって、走り続けることが、その力を補強するものである。
このような、身体の動きが精神に与える影響を重視する言説は、アランの「幸福論」を思い出させる。
アランも不機嫌から逃れるには、判断力ではどうにもならず、適当な運動を与えるべきだと説いたのであった。
そういえば、アランの「幸福論」とこの本は、一種のメモワールという点で共通している。
走るということは、村上春樹にとっては、本質的にどういうことなのであろうか?
川のことを考えようと思う。雲のことを考えようと思う。しかし本質のところでは、なんにも考えてはいない。僕はホームメードのこぢんまりとした空白の中を、懐かしい沈黙の中をただ走り続けている。それはなかなか素敵なことなのだ。誰がなんと言おうと。
読んで、走りたくならない者はいない、そんな珠玉のエッセイ集。
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」
主人公のジョバンニは、作品の初めから最後まで、一貫して「寂しさ」を感じている。
父親がいない「寂しさ」、学校以外の時間を労働に充てなければならないことの「寂しさ」 、その結果、学校生活に溶け込むことができず、クラスメイトから浮いてしまうことの「寂しさ」。
主人公の「寂しさ」からくる孤独感が、少年を銀河鉄道の旅へといざなっていく。
旅のパートナーとなるのは、少年のクラスメイトの一人である、カムパネルラ。親同士が友人であり、幼い頃から一緒に過ごしてきた事実から、ジョバンニが最も親愛の情を感じる人物として描かれている。
しかし、ジョバンニとカムパネルラの境遇には断絶がある。博士という肩書きの父を持ち、裕福な家庭で育ったと思われるカムパネルラに対し、漁師であろう父親が行方不明であり、自身も働きながら家計を支えるジョバンニ。この二人の境遇の差は、ジョバンニの「寂しさ」と孤独感を、より深めるように働く。
旅の最後、カムパネルラが急に消えてしまい、ジョバンニは、車窓から闇夜に向かい絶叫する。しかし、ジョバンニは、旅の初めから、カムパネルラが途中でいなくなってしまうことを、無意識のうちに知っていたのではないかという気がしてならない。
それは、「僕たち一緒にいこうねえ」と二度もカムパネルラに確認する仕草や、カムパネルラと女の子が話している姿に悲しさを覚えるシーンからも伺えるが、何より、この旅が、孤独感のまま、丘の平野に寝転がったところから始まることが、その論拠となる。
旅とは、基本的に孤独なものなのだ。
その孤独な旅は、本当の「さいはい(幸い)」を求めるジョバンニにとっては、ある種の宗教性を帯びたものになる。
また、作品中、ハレルヤやバイブル等、キリスト教的なモチーフが出てくる。
しかし、作品の最後でジョバンニが決意する本当のみんなの「さいはい(幸い)」という言葉には、特定の宗教の匂いは感じない。
それは、どんなに親愛の情を感じ、心が通じあった者がいたとしても、いつかは別れなくてはならない、そして、「寂しさ」や孤独感を抱えながらも、決意を持って、自分の道を歩いていかなければならないということが、誰にとってもいつか経験し、乗り越えなければならないことであるからではないかと思う。
現在の沖縄を語ることは難しい
現在の沖縄を語ることは難しい。
大江健三郎という象徴的な人物がいる。60年代の学生運動と並走する形で文学作品を書き始め、その闘争的なパトスと四国の土着的な力が交差するところに生ずるカタストロフィを描いた代表作である「万延元年のフットボール」を世に出し、護憲運動に関わり、戦後民主主義を標榜する文化人。
このような、沖縄の太平洋戦争時や戦後の経緯を我が事のように考え、「負い目」を感じるという振る舞いは、戦後思想として、80年代までは力を持っていたが、おそらく2010年代末である今日においては、力を持つことはできないであろう。
これは戦後思想だけでなく、政治の世界でも同様であり、そのように「負い目」を元に沖縄政策を考えるという振る舞いができたのは、橋本元総理や小渕元総理までが最後の世代ではないかと思う。
第一、「負い目」を思い出させる存在なんてものは、近くにいて居心地の悪いものだ。正直なところ、そんな存在、あまり関わりたくないというのが人情であろう。
だとすれば、「負い目」なんて道徳的で情緒的な概念なんかは使わず、ただただ地政学的リアリズムで沖縄や基地を語ってみれば、自ずと沖縄についての語り口が決まるのではないか。
これはネット右翼が賛同しそうな意見で、今日の日本ではそこそこ支持を得られそうだが、よく考えると、意外にこの見解は、足元が心もとないのではないかと思う。
というのも、どうしてもこの手の議論は、イデオロギーや宗教間の争いに近くなる構図がある。
例えば、法律上の争いがあったとして、当初は当事者間の議論があり、段々弁護士を交えた話し合いになり、裁判に移行していく。
一方、何がリアリズムかという争いには終わりはない。各自が、自分こそがリアリズムであると主張している世界。いくら権威のある学説やデータ、政府の高官の意見等を持ち出してきたとしても、結局のところ一意見でしかなく、裁判における最高裁判所のような最終的な審級が存在しないのだ。
ま、こんな回りくどい説明をしなくても、皆さんの身の回りに、「僕はリアリズムの観点から沖縄はこうあるべきなんだよね」と言う人がいたとしたら、おそらく社交辞令程度の賛意は示すかもしれないが、内心では「この人の心の中ではそうなんだろうな」と呟いて時間をやり過ごすのが関の山であろう。
ということで、意外に足場がもろい語りにしかならないのではないか。
「負い目」のような情緒的・経験論的な語りもできず、リアリズムのような合理論的な語りもできないのが、今日の沖縄を巡る磁場である。
現在の沖縄を語ることは難しい。
だが、我々に必要なのは、無理に分かりやすい構図に収めようとせず、ある語り方によって光があたる部分があること、逆に、見えなくなってしまう部分があることを、常に心のどこかに留めておきながら、向かい合っていくことではないか。
戦後民主主義の象徴として例に出した大江健三郎だって、単に道徳的で聖職者のような作家ではない。大江の代表作である「万延元年のフットボール」は、カタストロフィへの情熱と過激さを描いたものであり、土着的な雰囲気とも相まって、あえて言うと「右翼作品」と言ってもいい佇まいである。
分かりやすい構図に落としこまず、まず向き合ってみること。そこから全てが始まる。
ドストエフスキーと「子ども」についての物語
仕事で子どもの貧困や児童福祉に関わることがありますが、久しぶりに読んで、この作品も、「子ども」についての物語であったことに改めて気づきました。
敬虔なキリスト教信徒である主人公のアリョーシャに対し、児童虐待と思われる描写を描き出した後、例えいつか神による救済がくるのだとしても、虐待され死に至った罪のない子どもたちの苦しみの上に成り立つような救済なのであれば、そのような無実の者の苦しみの上に成り立つ世界と神は認められない、と説くリアリストかつニヒリストである、アリョーシャの兄イワン。
イワンにそのような問題意識を吐き出させた後、おそらく世界の文学史上、最も有名なシーンの1つである「大審問官」のシーンにつながっていきます。
20世紀には、この大審問官のキリストに対する独白が、当時世界的な影響力を持っていた社会主義思想と結びつけられ、議論されましたが、そのような「高尚」な話は、私は解説できないので、省略します。
というよりは、あえて言うと、そのような「高尚」で「思想」的な議論をせずとも、この作品は素晴らしいものであり、その理由は、作品の中で、一人の登場人物の口を借りて語られています。
「子ども」たちの一人であるコーリャ。
彼は13歳でありながら、悪事すれすれのイタズラで市場の大人たちの顔馴染みとなり、周りの「子ども」たちの「啓蒙」に勤しみ、農作業を行う大人を「民衆」呼ばわりする、いっぱしの社会主義者ぶったマセガキであり、その振る舞いには、読んでいて吹き出してしまうこと請け合いです。
コーリャは、アリョーシャに認めて欲しいと願っており、会話の中で、敬虔なキリスト信徒であるアリョーシャに対して、(13歳にして)神学的な議論を持ちかけます。
その際に、つい、どこかで読みかじったヴォルテールの本の受け売りの文句を付け加えてしまう。
しかし、コーリャ少年が素晴らしいのは、そのすぐ後に、ヴォルテールの引用で知識をひけらかしているとアリョーシャに思われたのではないかと、自意識過剰な自己反省をし、興奮気味に話してしまった後、アリョーシャに次のような告白をすることです。
「仮に神がなかったら、やはり考え出さなくてはならない(注ヴォルテールの引用)」なんて言ったあの個所でも、僕は自分の教養をひけらかそうとあせりすぎてるなって気がしました。まして、あの文句は本で読んだものですしね。でも、誓って言いますけど、僕が知識をひけらかそうとあせったのは、虚栄心のためじゃなく、ただ、なぜか知りませんが、喜びのためなんです。(中略)だけどその代わり、今や僕は、あなたに軽蔑されてるんじゃない、そんなことは僕がひとりでくよくよ考えだしたんだという確信ができましたよ。ああ、カラマーゾフさん(アリョーシャのこと)、僕はとても不幸なんです。僕はときおり、みんなが、世界じゅうの人間が僕を笑っているなんて、とんでもないことを想像するんですよ、そうすると、ただもういっさいの秩序をぶちこわしたい気持になるんです。
ここで、コーリャは、つい反射的に使ってしまった本の引用について、自分の言葉ではないことをすぐに認識し、それを相手に正直に伝えている点が、非常に誠実です。
また、このコーリャ少年の、他者と関係を結ぼうという「喜び」のもと自己から生み出そうとした言葉が、独り歩きすることで自己を裏切ってしまい、そして他者を傷つけてしまうという告白は、古今東西、人間社会全般に見られることでもあり、私たちにとって普遍的なテーマなのではないでしょうか。
特に、SNSの普及でいろんな人が気軽にコメントを世界に発言できるようになった昨今においては、よりリアルなテーマであるように私は思います(他者とのつながりを求める気持ちが、他者を傷つけてしまう)。
さて、このコーリャが出てくる「少年たち」という章は、この作品の主題である殺人事件が進んでいく中で、突如加わる章であり、作品構成の不自然さを指摘する意見もあるようなのですが、私はこの章があるために、この作品の最終章が輝けるものになっているように思えます。
この作品の最終章では、理不尽な運命でこの世を去ってしまった「子ども」であるイリューシャの葬式とその親の悲しみが描かれます。
イワンが述べたように、この世界というのは「子ども」たちの悲劇的な運命の上に成り立つ社会でもある。
気がつけば、この作品に出てくる人物は、家族関係が破綻している者ばかりです。
アリョーシャや兄のイワン、ドミートリーは、母親が幼い頃に亡くなり、事実上親から育児放棄された状態で育ちます。コーリャや、アリョーシャの思想的父であるゾシマ長老も父親を亡くしており、スメルジャコフにいたっては父親が誰かわからない…。
家族関係が破綻してしまった場合に、人はどうしたら救われるのか。
この答えは、この作品で描かれる2つの「復活劇」にあるのではと思います。
1つ目は、犬のジューチカにまつわるエピソード。
亡くなる前に、イリューシャはジューチカという犬を可愛がっていますが、スメルジャコフに唆されて、ピン入りのパンを食べさせてしまいます。そして、悲鳴を上げてどこかに逃げてしまったジューチカにしてしまったことを、イリューシャは非常に後悔しています。
その後悔もおそらく病状に影響があったのだろうと思いますが、しだいに弱っていって死の床につこうとする少年。ジューチカ、ジューチカと悔やみ続けます。そこで、あのマセガキぶっていたコーリャが、サプライズで少年のもとを訪れ、ペレズヴォンというコーリャが最近飼い始めた犬を披露します。犬を見たイリューシャは、これはジューチカだと言って、ジューチカの「復活」を喜ぶ…。
実は、ペレズヴォンをジューチカと言明するのは、このイリューシャの発言だけであり、作品の中で、ペレズヴォン=ジューチカであるとははっきりと述べられてはいないのです。
その方がハッピーエンドっぽいのでそうであって欲しいのですが、例えば、自分の先が短いことを理解したイリューシャのこの発言。
パパ…泣かないでよ…僕が死んだら、ほかのいい子をもらってね…みんなの中から自分でいい子を選んで、イリューシャって名前をつけて、僕の代わりにかわいがってね…
イリューシャ本人により、「イリューシャ」が他の存在で置き換わる可能性があることを示唆していますが、これはジューチカとペレズヴォンの関係にも当てはまるでしょう。
2つ目の「復活劇」は、この作品の最後のエピソードとなる、イリューシャの葬式そしてアリョーシャと子どもたちの未来への誓いのシーンです。
ついにイリューシャは亡くなってしまい、悲しみにふける家族たちや子どもたち。
そんな中、小道のそばの大きな石のそばで、子どもたちを集めて、アリョーシャはこのように説きます。
みなさん、このイリューシャの石のそばで、僕たちは第一にイリューシャを、第二にみんなのことを、決して忘れないと約束しようじゃありませんか。…たとえ僕たちがどれほど大きな不幸におちいっても、同じように、かつてここでみんなが力を合わせ、美しい善良な感情に結ばれて、実にすばらしかったときがあったことを、そしてその感情が、あのかわいそうな少年に愛情を寄せている間、ことによると僕たちを実際以上に立派な人間にしたかもしれぬことを、決して忘れてはなりません。
ある存在が失われること。それは、親しい者にとっては、悲劇的な出来事でしょう。
しかし、人は新たな関係を築き出すこともできます。
ペレズヴォンはジューチカではないかもしれない。したがって、前のジューチカとの関係性を築くことはもはやできない。しかし、新たなジューチカであるペレズヴォンとは、これまでのジューチカとの関係とは少し違う、新しい関係性を築くことができる。
また、イリューシャは亡くなったかもしれないけれども、それで終わりではない。イリューシャとそれぞれが築いた関係は、その周りの人間やその他の人たちを結びつける媒体となります。
児童虐待が起こると、家族は破壊され、虐待を受けた子どもは、それまでの多くの人間関係を失うことになります。
虐待事件が起こると、事件当時、家族に適切に介入ができたかや、子どもの保護の必要性について、報道が集中します。
それはもちろんとても重要なことなのですが、同じくらい重要なのが、虐待を受けた後に、その子どもがどのように生活を再建していくかです。
家族は破綻してしまった、多くの子どもは頼れる身寄りもない…行政や関係機関は、事件が報道されている期間だけでなく、その子どもが大人になり、生活が再建できるまで、末永い支援が必要となります。
その際に、いかにして人は新たな関係を築きあげることができるのか。
この作品は、その問いに1つの答えを示してくれているような気がしています。
「音楽」の将来を予想する
私は音楽が好きなので、音楽が人類にとってのよき友人であり続けることを、21世紀に生きる人間の一人として願っています。
ですが、将来の音楽は、今私たちが親しんでいるような音楽とは、少し違ったものになっていく可能性もあるでしょう。
もともと、音楽は言語から派生して発展してきたのだと、歴史は語ります。
例えば、聖歌。西欧音楽のルーツの一つに、グレゴリオ聖歌があることは、よく語られるところです。
そこで聖歌の音階は神の言葉と固く結びつけられ、現代のように五線譜の上で音階を構築せずとも、例えばお経のように、言葉の音韻やリズムから必然的にメロディが導き出されるような音楽が、修道院などで響いていた…。
そこから、時代が下り、モーツァルトやベートーベンの時代には、音楽は完全に言語や宗教から独立するようになります。
それを支えるのは、王候貴族から経済的に自立するようになった市民社会。
貴族のパトロンがいなくとも演奏会は成立するようになり、一般市民が休日に友人たちと演奏をして楽しむようになります。
音楽にとって、全盛期の一つであったでしょう。
さらに時代は下り、20世紀になっていくと、ヨーロッパの成熟化とアメリカの勃興、資本主義社会の発展に伴い、クラシック(西欧古典音楽)からポップス・ロックミュージック等(英米大衆音楽)が主流となり、音楽の発展を支えるのは、商業資本と視聴者である大衆となっていきます。
ここでは、音楽を作成するのは、商業資本(に支えられた職業音楽家)となり、音楽は大衆に馴染みやすいメロディとなる一方、音楽の録音・普及に多額の資本が必要となるに伴い、音楽の担い手と聞き手の分離が進んだ時代といってもいいのかもしれません。
ロックスターはかつての軍事的英雄のようにカリスマ的な存在となるとともに、一般庶民からは離れた存在となる…。
これはつい最近まで、1990年代までの音楽を説明できる状況であるように思えます。
しかし、2010年代の音楽をめぐる状況は、上記の状況からさらに変化したものだと言えそうです。
CDが売れないとは、よく聞くセリフです。
これは、上で描いた商業資本と大衆のつながりが失われつつあることを示します。
いや、ダウンロード販売やライブ等関連産業の経済的効果を考えれば、音楽業界の売り上げが落ちているわけではないとの意見もあると思いますが、その意見で述べる音楽産業の変化こそが、まさに上記の商業資本と音楽の結びつきが変化してしまったことを示しているものと思います。
私が言いたいのは、悲観論ではなく、音楽をめぐる状況の変化です。
現代におけるYoutubeの隆盛を考えてみましょう。
Youtubeに投稿される音楽は、もちろん従来型の商業ベースで販売している音楽もアップされますが、投稿者が作曲・演奏した音楽が投稿され、視聴者の支持を得ていることも知られています。ニコニコ動画等においても同様でしょう。
これは、現代のインターネットの発展やIT技術の進展が背景にあるものであり、技術発展に伴い、音楽の担い手の変化を示すものではないかと思えます。
音楽の発信手が、商業資本・職業音楽家から、かつてのベートーベンの時代のように、一般市民に戻りつつあるのかもしれません。
先ほど述べた、ダウンロード販売の発展も、音楽の担い手の多様化を示す現象(高度の資本の蓄積がなくとも音楽を普及させることができる)の一つなのではないでしょうか。
そこでは、音楽の担い手はカリスマ的なロックスターではなく、どこにでもいる普通の人間となる。一般家庭におけるPCの普及により、高度の資本がなくとも作曲が可能となる。
こうなると、今後、音楽がどのように発展していくかについてです。
ここからは何の裏付けもない、私の完全な想像となりますので、ご注意ください。
音楽の歴史を振り返ってみると、ベートーベン等、古典派時代のソナタ形式のように、担い手が多様化するに伴い、逆説的に音楽の「形」は、一定の形式を持つということがあるかもしれません。
Spotifyの隆盛、中国における音楽のネット配信の普及等を見るに、音楽は携帯してきくものという流れが進み、そこから、携帯しても聞きやすい音楽、が選ばれる傾向が生まれるはずです。
なお、ここでいう「形」とは、いわゆる音楽のジャンルを意味しているわけてではなく、もっと広い概念で使っています。
次に、一見、上とは矛盾しているように思えるかもしれませんが、音楽において言語との結びつきが強くなることに伴う「地域性」の要素が強くなるのではないかと考えます。
将来、PCのソフトで作曲するにせよ、自宅で楽器を演奏して作曲するにせよ、従来のように五線譜の上で設計するような作曲はしなくなるでしょう。
そうなると、かつて中世の修道院で流れていた聖歌のように、再び言葉と音楽の結びつきが強くなるのではないかと想像します。
聖歌だと、現代の音楽とのつながりがイメージしにくいかもしれないので、ヒップホップを挙げてもいいかもしれません。
ヒップホップのラップは、まさに言葉としっかりと結びついた音楽です。言葉の韻こそがリズムを生み、メロディを生み出す。
ヒップホップは即興性も重要であり、五線譜の上で構築された音楽ではない。また、アメリカンカルチャーから生まれてきた英語圏の音楽ですが、このように、世界の様々な人間が音楽を発信することで、世界各地域の言語に結びついた韻とリズムを持った音楽が生まれてくるのではないかと想像します。
以上をまとめると、私が将来世界で普及すると考える音楽の形とは、
携帯しながら聞ける一定の形式を持った音楽でありながら、
世界各地の言語に基づいた地域性のある音楽、
なのではないかと考えます。
今後、新しい音楽が生まれてくるのを非常に楽しみにしています。
24年前の阪神大震災の記憶から私たちが受け継ぐべきもの
24年前の1月17日に発生した阪神・淡路大震災。年月が経過するのは早いものです。
私は16年前、神戸に住み始め、5年ほど神戸のまちに馴染ませてもらいました。
震災から8年。屋根が崩落したJR六甲道駅も、当然完全に復旧しており、賑わう街並み。
初めて見た神戸のまちの印象は、「きれいすぎる」というものでした。
効率的に区画整理された住宅地、路地すらもまっすぐ続く街並み、整い過ぎた街路樹…
震災で旧来の街並みが全て破壊されてしまった結果でした。
その瓦礫の跡から、効率的で不自然に清潔なまちが生まれてきたのです。
もちろん、これはJR路線以南の、震災の被害が大きかった地域に限定されており、阪急電車路線沿い等、昔ながらの趣のある街並みも残り続けています。
しかし、破壊されたものの中には、その街並みやそこで生きる人間が生み出すある種の文化があることは間違いないでしょう。
一方、阪神大震災によって、生み出されたものもあります。
震災後は、ボランティア元年とも呼ばれたように、自発的な市民活動が活発になり、コミュニティの再生が謳われた時期もありました。
もちろん、全てが現在もうまくいってるわけではありませんが、阪神大震災そして東日本大震災でも絆という言葉に象徴される震災コミュニティの発生が、人々を勇気づけ、新たな日本社会の訪れを感じさせたことは間違いありません。
この施策は、住居確保を進める反面、公営住宅に住む世帯の大きな部分が高齢者世帯であったこともあり、入居世帯の社会的孤立への対策や地域とのつながりの維持を行う必要が生じます。
なお、この個別訪問の取り組みは、東日本大震災においても、仮設避難所等で見られたものです。震災という非常事態により、その社会的必要性に基づいて生み出された、ある種の「文化」なのかもしれません。
危機的状況においても、人間というのは低劣な振る舞いを見せることもあれば、崇高で尊い振る舞いを見せることもあるという、人間一般に関わる一つの真理なのでしょう。
そのように、震災で得られた経験や気持ちを、形になるものや形にならないものも含め、今生きる者たちで受け継ぎ、共有するのが、毎年の1月17日という日なのかもしれません。
くまもんが「仕事の流儀」に登場!
各分野で活躍する「職人」たちを取り上げて、その仕事ぶりや生きざまを特集する、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」。
くまもんが生まれた背景から現在の活躍まで、ダイジェストで放映する内容となっていましたが、くまもん、思ってたより、奥が深い。。。
今回の放送で、何度か登場する印象的な表現である、
「皿を、割れ」
くまもんは、熊本県庁という行政組織の中から生まれてくるわけですが、行政というのは、守りの組織であり、貴重な税金を国民・県民からお預かりしている立場であることもあり、突き抜けたこと、無駄なことはできない。そういう考え方になりがちなところがあります。
番組でも取り上げられていましたが、くまもんの活動が軌道に乗るまでは、くまもんの活動について「行政が税金を無駄遣いしている」という批判的な意見をいただいていたとのことです。
これはなかなか難しいところです。
くまもんのプロモーションが成功した現時点から見ると、くまもんの活動は投入した費用以上の経済効果が発生しており、大成功であると評価できます。
しかし、もしうまくいっていなかった場合、確かに「税金の無駄遣い」と評価されてしまう可能性があった。また、そもそもそういう産業のプロモーションは、行政の役割ではなく、民間企業がやるべきであるという立場に立った意見もあるかもしれません。
その中で、熊本県庁は、くまもんプロジェクトを進めることを選んだ。。。
皿を割れとは、失敗を恐れず、理想を求める姿勢のことであり、番組中では、「くまもんの精神」と表現されます。
行政が、どこまでやるべきか。。。
現代日本は成熟した市場を持つ社会であり、企業の経済活動も重要ですが、一方、行政も常に受動的でいる必要はなく、積極的に活動すべき瞬間もあるでしょう。
そういう官民のあり方や、官民を越えて、社会人としての仕事に対する姿勢を、今回の放送で、くまもんに教えてもらったような気がします。
くまもん氏、ありがとうございます。